叶えてしまった

バンド練で帰宅が遅くなったとき、大体うちの親は
「おまえは大学に何しに行ってるんだ」と言う。
俺の帰りが遅くなることで勿論家族に迷惑が掛る訳ですが
その理由が勉強とかレポートで遅れるならまだしも
バンド練習のせいであるということが気に食わないらしい。


最近は休日も大学でバンド練ということも専らですが、
出かける理由を聞かれてバンド練と応えると
「また遊びか」と皮肉っぽく言われます。
正直、安易に「遊びか」と言われるとかなり腹が立つ。
俺が一人で勝手にやってることに対して、俺一人にそう言われるのは我慢できるけど
一緒にやってるバンドメンバーのことを考えるとそうはいかない。
メンバーそれぞれがそれなりの目標を持って、バンドに時間を割いてるんだから
それを「遊び」で簡単に片づけられるのは相当腹が立つ。
ライブで演奏するというのは人前で自分らの作り上げてきたものを晒すということだ。
見る人に何かしら心理的変化をもたらす以上、自己満足で済むようなことではないんです。
それなりの精神的負担とか、モチベーションを持って練習しなければそんなことは出来ない。
そんな休日に友達と街に遊びに行くようなノリでやってるんじゃないし、
そういう心構えで出来ることではないです。



しかし他人目線で考えてみれば、これは単なる大学でのサークル活動に過ぎないのだ。
サークルというとどことなく軽々しいイメージがある。
特にうちの親は大学出じゃないから、大学ってものを良く知らない。
サークルというとほんとに遊びか何かのように思っていらっしゃるようだ。
しかも大学でバンドやってるというと、世間的な見方では何か遊んでる感じはする。
どんなに本気出してバンドの演奏を極めることに精神をすり減らしても
吹奏楽部や合唱部がコンクール目指して練習に励んだり
運動部が練習で日々自分の体を追い込んでいるのと比べると
何故か、軽々しく見えてしまう。


大学はあくまで勉強するところだ。
自分のやりたい学問をより深く追求していくところだ。
社会に出る為の、より実用的な何かを獲得してくところだ。
そういう観点で見れば
バンドをやることが、そう遠くない将来に、どう繋がるというのだろう。
例えばプロのミュージシャンにでもなって、それで食い繋ぐ覚悟でもあるのか。
そんなことはない。
ただ単にバンドが好きだからやってるんだ。
しかし「好きでやってる」だけである以上、それは他人から見たら単なる趣味であって
しかも将来社会に出る時に、出た後に役立たなければ
「遊び」と片付けられても納得せざるを得ないんです。


自分にとってどれほど大切なものであっても、それに実用性を見いだせない以上
そんなことは他人にとってどうでもよいことなのである。
自分に利益がなければ冷たくあしらう
人間とはそういうものである。

















昨日の定期コンサートの選考会は近年稀に見る波乱っぷりだったように思う
エントリー数15
選出数8
強豪バンドが落選し、予想外のバンドが選考に受かるという。
演奏技術があってもそれが味方してくれない、そんな現実を垣間見た気がします。
定期コンサートはスプコンやサマコン、新大祭とは全く性質が異なるもので
中途半端な完成度では門前払いを食らうような、そんな音クラの登竜門的な厳粛さがあるのですが
どういうわけか毎年何かしら番狂わせが起こるようなのだ。
これにはバンドを順位づけするという選出方法にも問題はあると思うが
何より1年生票の影響するところが一番大きいと思う。
1年生は悪く言えば演奏の完成度を評価する目がない。
細かい演奏の荒削りな部分を見抜くことがまだ難しいということ。
どれもそれなりに良く見えてしまう。
結局自分の好みの音楽かどうか、ということでしか順位付け出来ないのだ。
音クラは今や全部員の半数近くが1年生である。
そんな1年生の評価が投票数の半分も有効化されたら、番狂わせが起こってもおかしくない。


正直選考に通るとは思っていなかった。
技術で勝てないなら、気持ちをできるだけ体現してやろうと。
声は出た。演奏はまだまだだった。
ただ自分が出来る精いっぱいのことをやろうと思った。
いつものことだけどね。


僕らが選考に通ったことに疑問を感じた方も多いと思うんです。特に2年生以上は。
なんであれが通るんだと。
自分たちでも選考に通るような演奏ができたとは思っていない。
通ったら嬉しいけど、でも通って欲しくないという矛盾
メンバーみんなそんな感情を抱いたんじゃないかと思う。
だから僕はメンバーにも、メンバー以外の人にも申し訳ないという気持ちになりました。



まずはごめんなさい。
それだけ。